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スパイク・ローズレッドの変異過程 「エリーナさん、ボクをここに置いてくれる? もう狙われるのはイヤなんだ。お願い、ボクを守ってよ」 思い切って、ローズレッドは甘えてみた。この人のよさそうな彼女が頼みごとを断るわけがない。そう踏み切っていた。彼は意外とちゃっかりと、計算高いところがあるらしい。 実際、彼女は頼みごとを断れない性格だった。ローズレッドの願いを聞き入れ、この教会に彼を置くことにする。 ローズレッドは喜んだ。これで自分らしい薔薇色の人生を送ることができる。しかし、世の中そうも甘くもなく、彼の喜びは半分糠喜びに終わってしまった。 エリーナは彼に話しかける。 「それじゃあ、私についてきて。みんなにあなたを紹介したいから」 みんな!? 特別なのは、彼だけではなかったらしい。 外に出て、少し歩くと小さな建物が目前に見えた。エリーナは建物の中に入り、ローズレッドも彼女に続いた。 ドアを開けると、どわっ、と声が沸いてきた。中には、人間の子供たちが沢山いる。10人くらいだろうか。 子供たちは一斉にエリーナとローズレッドに注目した。エリーナはローズレッドをちらっと見やり、子供たちに紹介する。 「彼が新しいお友達、スパイク・ローズレッドくんです。仲良くしてあげてね。ほら、あなたもちゃんとご挨拶!」 エリーナに突付かれて、ローズレッドは赤面しながら挨拶する。 「よ、よろしく……」 彼は人間と出会うのは初めてだ。レプリロイドとでさえも、ほとんど会話をしたことがない。そのため、彼は人見知りが激しかった。 一方、人間の子供たちは、見かけないレプリロイドをじっと観察している。 「へえー、子供のレプリロイドって初めて見た。なかなかカッコいいじゃん」 「でも、こいつの名前、どこかで聞いたことないか? 確かイレギュラーハンターの間で賞金首にかけられている……」 「思い出した! こいつ、スパイク・ローズレッドだ! 突然変異のイレギュラーだって話題になってたじゃん!」 「げっ、イレギュラー!? こいつ、故障してんの!?」 「恐いなぁ。襲いかかったりしないよね?」 イレギュラー、イレギュラー、イレギュラー。 冷たい響きが彼の心に、深く鋭く突き刺さる。その場から逃げ出したい気分になった。 そのとき、エリーナが急に彼を抱き上げた。思わぬ彼女の行動に、ローズレッドは慌てふためく。 彼女は凛とした顔つきで子供たちに向かって言った。 「ここは誰でも平等である場所よ。『差別をしてはいけない』、私はこう教えなかった?」 子供たちはエリーナの言葉に押し黙ってしまった。 「あなたたちがここにいるのは、社会から弾き飛ばされちゃったからだよね。親から見捨てられた子もいれば、虐待から逃げてきた子もいる。親の顔さえ知らない孤児もいる。このコだって似たようなものだわ。社会で生きていくのに困難だからここに来たんですもの」 エリーナは笑顔をローズレッドに向けた。間近で見ると、彼女は結構美人だ。ローズレッドはなぜか胸がドキドキした。思わず顔を彼女から背ける。 「あら? どうしたのかな? ローズくん、こっち向きなさーい」 エリーナはローズレッドの思惑を知ってか知らずか、とにかくからかってやった。どうやら彼女はショタコンらしい。 それとは別に、ローズレッドは自分の『別名』を彼女から口から出たことに驚いた。『ローズ』は自分の前身、『ローズレッド』は今の自分。彼と自分は同じ躰を持ちながら、別人であることも確かなのだ。 彼女は『略称』として彼を呼んだだけかもしれないが、彼にとっては勘に触ることだった。だが、彼は敢えて黙っておくことにした。 (変異の過程を知ったら、きっと嫌われる。『ローズ』はボクが最初に殺した相手の名前だから……) 『イレギュラー』であるのが理由の1つ。だが、それだけではない。 エリーナの愛情が彼に集中してしまったからだ。レプリロイドであるせいか、レプリロイドを贔屓してしまう傾向があるらしい。 彼女自身、そのことに気づいてはいるし、気をつけてもいるが、やはり感性が理性より勝ってしまうようだ。 (『平等に』って言ったのに、どうしてもローズくんが気になるのよね。これじゃあ、シスターとして失格だわ) エリーナは深く溜息を吐いた。しん、と静まりかえった教会で、彼女はただ1人、神に祈りを捧げる。 (どうか、こんな私を許してください。そして、いつまでもこの小さな幸せが続きますように……) 夜空の星が1つ、瞬いた。 この祈りが神に届いているかどうかは定かではない。 スプリット・マシュラームのようなセリフを、この子供たちは吐いてきた。これはもはや『名言』といっても過言ではないだろう。 悪者役は当然、ローズレッドだ。彼は反抗もできず、されるがままに痛めつけられている。ただでさえ、『イレギュラー』の容疑がかかっているのに、人間に反抗しようものなら、即処分されてしまうだろう。これがレプリロイドの痛いところだった。 エリーナは現場を目の当たりにするや否や、すぐさまこの『危険な遊び』を止めに入った。 「こらっ! ローズくんを苛めるなってあれほど言いませんでした!?」 子供たちは集っている虫が獲物を諦めるように、四方八方にわさわさと逃げ散っていった。 群れがなくなると、ローズレッドの倒れている姿が見えた。彼はむくっと起き上がり、エリーナの方を向く。 「エリーナさん、ボクは大丈夫だよ。こう見えても結構強いんだ」 「……。ごめんね。やっぱり私がいけないのかしら。庇えば庇うほど、子供たちの牙はあなたに向けていく。私、どうすればいいのかしら……」 エリーナは表情を曇らせる。悪いのは彼女ではないのに、彼女は自分を責めている。ローズレッドにはひたすら自分が平気なのを演じ続けるしか、彼女を安心させる術がなかった。 「ボクは全然平気だよ。エリーナさんもボクに構うことはないんだ。本当に大丈夫だから、エリーナさん、元気を出して!」 「ありがとう……。ローズくん、とってもいいコだね。こんなにいいコなのに、どうして『イレギュラー』って呼ばれているのか不思議なくらいよ」 エリーナはローズレッドの頭を優しく撫でた。蕾がまた一段と、咲きかける。 突然のローズレッドの変化に驚き、彼女は興味を示し始めた。 「『生長』するレプリロイドなんて、珍しいね。もしあなたが大人になったら、私をお嫁に貰ってくれる? ……なんてね」 彼女は冗談のつもりで言ったのだろう。彼にもそれが分かっていた。たとえ成熟しきっていても、彼女と自分とではつり合わない。彼女は神に仕える『シスター』、自分はレプリロイド殺しの『イレギュラー』なのだから。 彼の仄かな恋心。それは決して表に芽が出ることはなかった。深い土の底に種のままに封印される。 月が隠れる真夜中。 孤児院のドアが乱暴に叩かれる。 シスター・エリーナは、機嫌悪そうに扉を開けた。 「静かにしてくださいっ! 子供たちが起きたらどうするんです!?」 「オレたちはそれどころじゃねえんだ。『イレギュラー』がここに匿われているって聞いた。そいつをここに出せ!」 訪ね人はイレギュラーハンターだった。どうやら彼らはローズレッドの情報を聞きつけたらしい。 エリーナはイレギュラーハンターに臆せず、毅然とした態度で挑んだ。 「ここにはそんな悪いコはいません。帰ってください!」 バタン、と彼女はドアを閉めた。そしてすぐさま鍵をかけた。 ドアの内側で彼女はローズレッドを静かに呼んだ。 「ローズくん! ローズくん!」 「……エリーナさん、どうしたの?」 ローズレッドは起きていた。それもそうだ、彼はレプリロイドだ。 エリーナは血相を変えてローズレッドに話しかける。 「イレギュラーハンターがあなたを狙ってきたわ! お願い、押入れの中に隠れて!」 ドンドン、ドンドン、とドアを叩く音が響き渡る。ハンターたちはまだ諦めていないようだ。 仕方なく彼女は再びドアを開ける。 「もう、しつこいわね。ここには『イレギュラー』はいないって言ったでしょう?」 「それじゃあほんとにいないかどうか、建物の中を探させてもらおうか」 ハンターたちは、ずかずかと孤児院の中に入っていく。 「ちょ、ちょっと! 不法侵入よ! 勝手に入ってもらっちゃ、困るわ!」 彼女はハンターたちを止めようとする。彼は上手く隠れることができたかしらと、思いを馳せながら考えていた。 だが、最悪なことに子供たちが起きてしまった。状況が掴めていない子供たち。なぜハンターがここにいるのか、彼らには分からない。 ハンターはそこを突いて子供たちに質問してきた。 「ねえキミたち。植物レプリロイドがどこにいるか知らない? 名前はスパイク・ローズレッドっていうんだけど……」 「えー? ローズレッドぉ? あいつならどっかその辺にいるんじゃないのー?」 「そお? 分かった、ありがとう。探してみるよ」 これでローズレッドがここにいる確証は持てた。あの女はやはり嘘をついていたのだ。 ハンターは嬉しそうに口の端を吊り上げ、エリーナに突っかかる。 「イレギュラーに味方するとは、いい度胸してるじゃねえか。どういうことか分かってるんだろうなぁ? ええ? シスターさんよぉ!!」 すなわち、彼女もイレギュラー認定されてしまうということだ。しかし彼女は態度を変えない。 「あなたたちは間違っています。『イレギュラー』だからといって、無慈悲にレプリロイドを壊していいとは限りません」 彼女は彼らに抗議する。しかし彼らには聞く耳を持たないらしい。 ローズレッドは押入れの中で、彼らの会話を恐る恐る聞いていた。 「あのコなら、きっとあなたたちよりも立派なレプリロイドになってくれます。だってあのコには人の傷みが分かるんですもの」 彼女はくすくすと笑った。その笑いが思い出し笑いなのか、彼らを嘲る笑いなのか、それともこの状況下で狂ってしまったのか、誰も理解できる者はいない。 「可哀想にね、あなたたちって」 「黙れ黙れ黙れ!! それ以上言うと撃つぞ!! さあ、出せ! ローズレッドを出すんだ!! そうすればお前だけでも助けてやるぞ!!」 これはもはや、脅迫だ。子供たちも脅えている。 「エリーナさん、ローズはどこに隠れたの? 教えてあげようよ、エリーナさん! でないとエリーナさんが!」 エリーナさんが殺される!? それはローズレッドには耐えられないことだった。彼女は命の恩人だ。しかも自分の密かな想い人だ。ここで自分を犠牲にして名乗り出れば、彼女の命は助かる。自分さえ名乗り出れば……。 ローズレッドは勢いよく押入れの扉を開け、ひらりと床に降りてきた。 「ボクはここだ! 出てきたよ! さあ、エリーナさんを放せ!」 「ローズくん! どうして出てきちゃったのよ! 隠れてなきゃダメだって言ったじゃない!」 「へっへっへ。ついに出てきたか。愚かな奴だな。こんなことをしても、お前らの命はすでにないというのに……」 ハンターはバスターをエリーナの後頭部に撃ちつけた。大きな爆音が部屋中に響き渡る。 エリーナは死んだ。 首のなくなった彼女、意識のなくなった彼女はもうすでにエリーナではない。ただの人形だ。 ローズレッドはがっくりと膝を落す。自分が出てくれば、彼女は助ける約束ではなかったのか。イレギュラーハンターはこんなにも卑劣な奴だったのか。 正義の仮面を被った死神。偽善者どもめ。 「どうして……エリーナさんを殺した!!」 ハンターたちは卑屈な笑いを浮かべて答える。 「気に入らなかったからさ。イレギュラーの味方をする奴もまた、イレギュラー。どの道、イレギュラーは処分される運命にあっただけさ。さあ坊や、次はお前の番だ。死ね!」 バスターの光がローズレッドに向けられる。 力が欲しい。この世の条理を正せる力が。自分の命を守れる力が。他人に傷みを教える力が。彼らに復讐できる力が! 彼は決して孤独ではない。彼は2人いる。眠っているもう1人を今ここで呼び覚ますのだ。『種』を蒔けばもう1人の彼は出てくる。彼は彼の分身となり、盾となり、攻撃となる。 彼の意識下で誰かが声をかけてくる。あなたは誰? 敵のバスターが放たれた瞬間、彼の蕾は花開き、完全なる『生長』を遂げた。 ローズレッドの目の前には、ローズレッドが立っていた。彼は2人いる。これが『双幻夢』。 しばらくすると、前方に盾となって立っていたローズレッドが蔓草に分解され、消えていった。 ハンターたちは彼の得体の知れぬ能力に、驚きと恐怖を隠しきれずにいる。 頭の花びらを満開に咲かせた青年姿のローズレッド。これが彼の本来の姿。真紅の花びらが彼の美しさを一層際立たせる。 彼は成熟した。力も手に入れた。右手から棘のロープをしゅるりと取り出し、球状に束ねる。 「あんたたちは許さない。オレがてめえらをぶっ壊してやるよ。処分される側の傷みを思い知れ!」 ローズレッドはハンターたちに向けて『スパイクロープ』を投げつけた。棘のボールは勢いよく回転し、相手のボディを削り取る。 「ぐあぁぁぁ!!」 無残にも鉄くずの破片が飛び散り、ハンターの1人は崩れ落ちた。 「ガンザス!!」 彼らは死んでいった仲間の名前を叫ぶ。 「おのれ!! 貴様、よくもガンザスを!! 絶対許さねえ!!」 何を言ってやがるんだ、こいつらは。『仲間を悼む気持ち』、そんな感情があるんなら、どうしてそれをエリーナさんやオレに向けようとしない!? 処分される側の気持ちをどうして理解しようとしない!? 「あはははははははははは」 ローズレッドは彼らを嘲笑った。狂ったように悲しみを抑え、静かな怒りを露にして彼らにぶつける。 「へぇー。あんたたちにもそういう気持ち、あったんだー。こいつは可笑しいや。血も涙もないイレギュラーハンターさんよぉ!!」 彼は再び分身を蒔いた。残る敵は2人。2対2で戦えば彼は勝てる。彼はもう、『ひとり』じゃないのだ。 孤児院の中、子供たちが見ている前で『彼ら』は闘う。果たして、子供たちの瞳にどのように映っていただろうか。 2人のローズレッドは2人のイレギュラーハンターを前後に挟み、華麗に棘の鞭を振るう。 ビシっという音と共に、鞭がハンターの身体を捕らえ、幾重にも巻きつかれた。 「う、動けない! くそっ、このっ!! イレギュラーハンターがイレギュラーにやられるなんて!」 「もがけばもがくほど、棘がボディに食い込むよ。もっともオレは、あんたたちを生かすつもりはないけどね」 2人のローズレッドは同時に鞭を強く引く。すると、それぞれが捕らえていたハンターたちのボディが粉々に砕け散り、胴体が真っ二つに分かれた。 ガシャン、と敵のパーツが床に弾ける音が響く。 ローズレッドは巻尺のようにしゅるしゅると、鞭を右腕の中に仕舞った。分身は蔓草に解かれ、消えていってしまった。 真夜中の戦闘は終わった。 しかし、彼の心の中には虚無しか残らなかった。 「植物の悪魔!!」 「お前のせいだ! お前が来なけりゃ、エリーナさんは死ななかったんだ!!」 「エリーナさんを返してよっ!!」 「出て行け!! もう2度と来るな!!」 子供たちの非難を背に浴びながら、ローズレッドは孤児院を去った。 真っ暗闇な森の中へ、彼はその身を委ねさせる。 もう誰とも関わりたくない。自分さえいればいい。他の他人はもういらない。愛も憎しみも悲しみも、もうこれ以上、欲しくない。 ローズレッドは『種』を蒔き、分身を呼び出す。分身はにこやかにローズレッドに話しかける。 「君はそれで満足なの?」 「もういいんだ。オレはもう疲れた。適当に生きて、適当に敵を倒して、適当に楽しみを見つけるよ。オレは十分強くなった。脅えて暮らすことはもう、ないんだからさ」 「そう。君がそう言うなら、僕は君についていくよ。いざとなったら、僕が君を守ってあげる。僕はもう1人の君だ。遠慮することはないよ」 「ああ。ありがとう、『ローズ』……」 | ||
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