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マッコイーンと『娘』の悲劇 彼は海中を泳いでいた。透明感ある水の中、マリンブルーの輝きが視界いっぱいに広がる。 母なる海は、海の漢を温かく包んで見守っている。 ふと、彼は水面の天井に顔を上げた。そこには黄色い物体が浮かんでいる。 彼はすかさず上昇して、その物体に近づく。風船よりは大きい。 海面から顔を出したとき、その正体が救命ボートであることが判明した。 「……!?」 彼は思わず目を見開く。 黄色いボートの上には、1人の少女がぐったりと倒れていた。 「邪魔してるのはそっちの方じゃねえか!! これは俺たちレプリフォース海軍の仕事だ!! おっさんは海洋博物館にでも帰ってゴロ寝でもしてな!!」 2人のレプリロイドの間で、激しく火花が散った。 船の上で、四角い頭を突き出して駆け込んできたのが、海上警備隊隊長であり、海洋博物館館長をも務めるマッコウクジラ型レプリロイド、タイダル・マッコイーン。 そしてもう1人、空中に浮いて3隻の船を見下ろしているのが、レプリフォース海軍所属の軍人、エイ型レプリロイドのジェット・スティングレンである。 彼らは不審船を発見した。黒い塗料の船体からは、武装したレプリロイド集団が飛び出し、警備隊と海軍の船に襲いかかった。 「むうっ! 今はお主に構っている暇はない!! こやつらを倒すのが先決じゃ!!」 「ふん、上等だ。こいつらを倒してから、てめえの相手をしてやるよ!」 2人は、不審船に向かって身体ごと突っ込んでいった。複数のレプリロイド犯罪者――イレギュラーを海の藻屑へと蹴散らしていく。 マッコイーンは氷を吐き出し、イレギュラーたちを船体へと叩き潰した。 スティングレンはジェット噴射で体当たりを繰り出し、イレギュラーたちをバラバラに吹き飛ばした。 この二人に続き、海上警備隊とレプリシーフォースがあとから攻撃を援護する。 船上は乱闘舞台へと化していった。 海へと散ったイレギュラー集団。不審船からはなんと、大量の麻薬が発見された。 それもただの麻薬ではない。 「なるほどな。最近流行ってきているレプリロイド用の麻薬『オーク』――イレギュラーウィルスを固形化したようなものか」 スティングレンは樽の中に入っていた大量の粉を、指に摘んで落す。粉は静かに糸を伝うように落下していった。 マッコイーンは訝しげにこれを見ている。 「最近の者は弛んどる! こんなモノに負けてしまうとは、海の漢として失格じゃ!」 「全くだ」 スティングレンは、『オーク』を科学班へと回すようにと、部下たちに命じる。部下たちはびしっと敬礼をし、樽を自分たちの船に積んで、海の彼方へと去っていった。 マッコイーンも海上警備隊に退却命令を下す。船は波を立てて去っていった。 これで2人を残して、誰も邪魔者はいない。 「おっさん、今日という今日は決着をつけてやる!!」 「若造が、調子に乗るでないぞ! ワシがお主の根性叩き直してあげるわい!!」 海上で二人は対峙する。顔を合わせる度にいつもこうだ。仕事上のライバル関係が二人の意志を衝突させる。 「いくぞ、勝負だ!」 「おうっ!!」 戦闘態勢を作るスティングレンとマッコイーン。 しかし、思わぬ声が彼らの闘志を消沈させた。 「何やっとんのや、二人とも!! いつもケンカなんかしてないで、たまには『仲直り』っちゅうもんをやったらどうなんやっ!!」 頭に響く甲高い声。電波を伝った通信音声だ。 「……」 「……」 二人はその声に気圧されて、黙り込んでしまった。 戦闘はいつもこうして『おあずけ』とされるのである。 海上警備隊の休憩室で、帰ってきたマッコイーンを出迎えたのはなんと、人間の少女だった。 彼女の名前はマリリン。年齢は14くらいで、肩にかかる黒髪を二つに分けて結っている。服装は長袖のYシャツにジーンズという出で立ちで、肌は浅黒い。 釣り目がちで少しキツイ印象はあるが、まだ幼いせいか輪郭も丸く、可愛らしい雰囲気も窺える。何故か口調は関西弁だ。 彼女はマッコイーンを『父ちゃん』と呼んでいる。本当の父親ように、慕っていた。 「……」 マッコイーンはマリリンの隣の椅子に、どすんと腰掛けた。額の汗を拭うかのように、彼は右手で大きな頭を擦る。 「マリリン、ワシにも分かっておる。だが、どうしてもあの若造と顔を合わせると、素直になれなくなるもんじゃ」 マッコイーンは白い溜息を吐く。マリリンはマッコイーンの息の寒さで、思わずくしゃみを1回した。 「おっとすまんな、マリリン。ワシといると寒いじゃろ? 毛布でも持ってこようか?」 「……いいよ。父ちゃんの『冷たさ』はあたしにとって、心地いい『冷たさ』なんや……。それに、あたしのハートは熱いんやで。だから平気や」 マリリンはその肌を、氷使いの巨体なレプリロイドに身を寄せた。マリリンの体温がマッコイーンへと伝えられていく。二人の熱は平均化していった。 マッコイーンは少し考えながら、隣の少女を瞼の隙間から見やる。 「マリリン……」 「ん、なんや? 父ちゃん」 「ワシはレプリロイドでお主は人間じゃ。本当の親子になぞ、なれんのじゃぞ。ワシなんかより、もっといい里親を見つけて暮らした方が、お主の為に……」 「嫌や! あたしの父ちゃんは、『父ちゃん』しかいないんや! 父ちゃん以外の親なんて、あたしには到底考えられへんっ!!」 マリリンは涙を浮かべながら、マッコイーンに訴える。 「あたしは……権力で押し潰す人間なんか、嫌いや……」 彼らが出会ったのは、3年前の夏だった。 台風が通り過ぎたあとの海の中を見回っていたマッコイーンは、黄色い救命ボートを発見した。 ボートの上には、小麦色の肌の少女――マリリンがいた。意識はなく、ぐったりと昏睡していた。 マッコイーンはすぐさま、救急班を呼び出す。こうして彼女は助かった。 「お主は一体、どうして海の上にいたんじゃ?」 マッコイーンは11歳の少女に問い掛ける。マリリンは少し目を泳がせながら、こう答えた。 「あたしの乗っていた船が、嵐に巻き込まれたんや」 どうやら、大型台風に船が飲み込まれたらしい。彼女の聞いた話によると、両親はそのときに亡くなったそうだ。 彼女は両手で顔を覆い、声を荒げてしゃくり上げる。 無理もない。酷い目に遭った上に、両親も失ってしまったのだから。身寄りの親戚も心当たりがないと言う。 マッコイーンは仕方なしに、しばらく彼女の面倒を見ることにした。引き取ってくれる新しい親を見つけ出すまで――――と思っていたが、なかなか見つけられずに、ずるずると3年の月日が経ってしまった。 次第にマリリンは、マッコイーンを本当の父と思うようになってしまった。海洋博物館館長兼、海上警備隊隊長を務める彼の背中はとても大きく、勇ましい姿となって彼女の瞳に映っていた。 『大海の守護神』の名に恥じないくらい、自分に厳しい海の漢だった。多少、頑固な面もあるが、彼女はそんな彼が大好きだった。 「決めたっ! あたし、今日からあんたを『父ちゃん』と呼ぶで!」 こうしてマッコイーンは、マリリンの新たな父親となることになった。 初めてその情報を聞いたとき、スティングレンは大爆笑してしまった。しかも人間の子供だ。身寄りがないから面倒を見ているとはいえ、雄々しい海の漢が家庭を持つことに想像できなかった。 一体どんな子なんだろう? 意外にも早く、問題の少女に出会うことができた。 「レプリフォースっちゅうのは、ここかいな?」 黒髪のボーイッシュな少女が擦れ違いざま、出入り口の前でスティングレンに声をかけた。両手に黒い箱を抱えている。 「ん? ああ、そうだが、人間のガキがこんなところに何の用だ?」 スティングレンは少女の方に振り向く。 少女は片眉をひくひくさせながら、声を大きくして怒鳴った。 「ガキって言うな! あたしはこれでも、立派な『乙女』やで!」 「ふーん、『乙女』ねぇ…。どう見てもガキじゃねえか。で、用件は何だ?」 「ああ、そのことなんやけどな、こいつを鑑識に届けてくれないか? ウィルスが仰山入ってるんやで」 少女は何食わぬ顔で、黒い箱をスティングレンに渡す。そんな危険なモノを、何故この年端もいかぬ少女が持っているのだろうか。 スティングレンは箱を奪うようにして受け取った。 「なんでおめえが、こんなモンを……!?」 「あたしはこう見えても、海上警備隊の運搬係やで。父ちゃんは警備隊の隊長なんや。あたしも立派に父ちゃんの仕事を手伝っているんやで」 少女はにっこりと微笑んで見せた。 彼女が例の少女だった。海上警備隊隊長、タイダル・マッコイーンの『娘』。 彼女は自分を『マリリン』と名乗った。 「んじゃ、あたしはこれで。あとはよろしくな」 マリリンは手を振って、スティングレンに別れを告げた。彼女の姿が次第に小さく映る。 スティングレンはマリリンの去っていった跡を、しばらく眺めていた。 (あいつ、どこかで見たことが……) 黒い箱を両手に持ち、スティングレンは記憶を辿る。1つのヴィジョンが、スティングレンの脳裏を横切った。 (そうだ! あいつは確か、捜索願の――――) レプリフォースの元に、多数の捜索願が届いていた。丁度3ヶ月前の大型台風が過ぎ去った時だ。 捜索願の中に、マリリンの顔写真と名前が載っていた。依頼人は彼女の父親。本当の生みの親だ。 しかし、マリリンの両親は嵐に飲み込まれて死んだと聞いた。だからマッコイーンは代理でマリリンを育てているという。マッコイーンは彼女の両親が生きているということを、恐らく知らずにやっているのだろう。 これは一体、どういうことだろうか。 スティングレンはウィルスの入った黒い箱を鑑識に渡すと、急いで彼女を追いかけた。 ジェット噴射で空を駆け、上空から黒髪の少女を探す。すぐにターゲットは見つかった。 マリリンは、徒歩でバス停に向かうところだった。 スティングレンは彼女の目の前に舞い降りる。突風が二人の周りを透き抜けていった。 「見つけたぜ、サイキョージ・マリリン!」 自分のフルネームを呼ばれ、マリリンはびくっと肩を震わせる。 西京寺鞠鈴。それが彼女の本名だった。しかし彼女は、純粋な日本人ではない。『鞠鈴』は当て字だ。 「あんた、一体何が狙いなんだ? 両親が死んだって噂、あれは恐らくあんたがついた嘘だな? マッコイーンのおっさんを騙し、養女になって、どうするつもりだ! 金が欲しいのか? それとも……」 スティングレンは彼女を問い詰める。 そのとき、マリリンの瞳から大量の涙が溢れ出てきた。頬を濡らしながら、それでもしっかりとスティングレンを真っ直ぐ見る。 「あたしはただ……自分の居場所が欲しいだけやっ!!! マッコウ父ちゃんの側にいたいだけなんや!! だからお願い……。あたしをあいつらの元に帰さんでおくれ……。あの家にいると、苦しゅうて苦しゅうて、息が詰まりそうなんや…………」 陸軍士官のカーネルは、マリリンの話をじっと聞いていた。自分の辛い過去の告白に涙を浮かべ、しゃくり声で途切れながらも、最後まで話そうと努力する彼女の姿勢に、真剣さを感じていた。 それは凄まじい過去だった。普通の精神では、到底耐えられないだろう。 彼女は服を捲くり、背中と両腕を彼らに見せた。 そこには、無数の煙草の火傷の跡と、剃刀で切り刻まれた古傷があった。 児童虐待の数々だ。 マリリンは震える声で満身創痍に受けた傷のことを話す。 「あいつらは……、あたしを『娘』だと思ってないんや。自分の『物』のようにあたしを見る。あたしが反発すれば、あいつらは殴る。あたしの『意志』なんて……あいつらには関係ないんや!!」 だから彼女は逃げ出した。丁度引っ越しで船で移動中のとき、彼女は隙を窺い、救命ボートを使って海の中へと飛び込んだ。そのあと、予期せぬスピードで来た大型台風に飲み込まれ、海上で漂流していたところ運良くマッコイーンに助けられたと言う。 なんと無謀な計画であっただろうか。1歩間違えれば、彼女は恐らく死んでいた。いや、死ぬ確率の方が高かっただろう。 それでもマリリンは、悪魔のような両親から逃げ出したかったのだ。 珠のような涙をぽろぽろ零しながら、彼女は訴える。心の傷は相当深い。 「あたしは――――、『愛』が欲しい! 『自由』が欲しい!! 『親』が欲しい!!! 本当にあたしのことを思いやってくれる親が――!!」 「だからあのおっさんを、自分の親に選んだというわけか……」 スティングレンの静かな問いに、マリリンは首を縦に振って頷く。 そのとき、カーネル士官は、ゆっくりと口を開いた。 「レプリロイドとはいえ、私には1人の妹がいる――。君より少し年上だけどな。肉親に嫌われるというのは、よほど辛いことだろう。私も昔、妹と大きなケンカをしたことがあってな、あの時の辛さは今でも忘れられない」 カーネルは自分の妹、アイリスの顔を思い浮かべた。平和を愛する彼女。それとは逆に闘争心剥き出しの自分。正反対の考えを持っていたため、しばしば対立することもあった。それでも彼は妹を愛していたのだ。 彼は右手を幼い少女の頭に乗せ、軽く撫でる。それから膝を落とし、目線をマリリンに合わせてから言った。 「君の気持ちはよく分かった。私からジェネラル将軍に伝えよう。『捜索願の件は無視してくれ』ってな。ただし、1つだけ条件がある」 「ん? なんや?」 マリリンはパッと顔を輝かせた。『あの家に帰らなければどんな条件でも呑むで!』といった表情だ。 カーネルは1つ咳払いをし、気を取り直して言った。 「マッコイーン殿に決して迷惑をかけないこと。それだけだ」 「よっしゃ! 分かったで!!」 握り拳でガッツポーズを取るマリリン。カーネルとスティングレンに礼を言い、急いで本部を飛び出していった。なんとも現金な性格である。 部屋に残されたカーネルとスティングレンは、互いに顔を見合わせ、苦笑いをする。 「カーネル……、マッコイーンには事情を知らせなくてもいいんですか?」 「必要ないだろう。あの傷を見れば大概の想像はつく。これ以上、傷つくような真似はさせたくないからな」 「そうか……」 スティングレンはカーネルに敬礼をし、マリリンのあとを追いかけていった。 自分では彼女を救うことができなかっただろう。家族もいない彼にとって、マリリンの気持ちを推し量ることなど、想像し難いものがある。 それが何より、悔しかった。 |
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