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ブーメル・クワンガーがイレギュラーになった理由 「私の命が――あと半年!?」
ライフセイバーから聞かされた話は、自分の余命を示すものだった。
クワンガーもさすがにショックは隠せなかったらしい。
ライフセイバーは資料に目を落としながら、重い口を開く。
「キミの電子頭脳に狂いが生じた。ウィルスによるものか、メモリの外傷によるものかは分からない。このまま行けば、キミの記憶と感情はデリートされる。キミはイレギュラーだな」
「………!」
イレギュラーと聞かされて、クワンガーは身体をびくっと動かす。
イレギュラーハンターがイレギュラーになる。
もし自分がイレギュラーだと容認されれば、イレギュラーハンターは間違いなく自分を破壊してくるだろう。
死の宣告を告げられたのと同じだ。
「……私は……イレギュラーなのか?」
クワンガーはライフセイバーに聞く。
「教えてくれ、あんた! 俺はイレギュラーなのか!?」
クワンガーの言葉が乱れる。一人称を『俺』に変えたとき、クワンガーの本心が垣間見えるという。
ライフセイバーは黙った。しばしの沈黙が室内を支配する。
「……」
「………」
「…………。『イレギュラー』の定義は?」
ライフセイバーの抑揚のない音声でクワンガーに聞く。
イレギュラーの定義。ハンターになってから、散々教えられた言葉。
クワンガーは模範通りに答える。
「『イレギュラー』とは、人間もしくはレプリロイドに危害を及ぼす存在……」
―――あっ!
クワンガーはライフセイバーが意図することを読み取った。
「そうだ。キミは『まだ』誰にも危害を加えていない。だから『今』は判断し兼ねる」
「……ありがとうございます」
とりあえず命は取り留めたものの、ライフセイバーはやはり厳しい。
もしこれから自分が誰かを傷つけることになったら、情状酌量の余地もなく処分されるだろう。今までのような反則ギリギリの殺し方もできなくなる。
(あと半年か――)
カウントダウンは始まった。
これから自分は、少しずつ変わっていくだろう。
全てを失い、全てを忘れ、全てが壊れる。
死神が自分の魂を蝕んでいく。
(生きたい――)
それがクワンガーの願いだった。
(死んでたまるもんか! 俺はまだ、十分にこの世界の楽しさを味わっていない! 『幸せ』という極上の楽しさを俺はまだ掴んでいない――!)
クワンガーの拳が小刻みに震える。
今の状況はまさに『絶望』――最大の『不幸』だ。
「ライフセイバー……。私を……治すことはできないのですか……?」
クワンガーの小さな問いかけに、ライフセイバーは目を瞑って首を振る。
「……」
クワンガーは肩を落とし、深く溜息を吐いた。ようやく諦めがついたようだ。
「そうですか……。じゃあ私は『今』を精一杯生きることにしますね」
そう言って彼は、目を細めて微笑む。
しかしその笑みはどこか儚く悲しげなものを感じていた。
医療室から扉を開けたとたん、クワンガーは唖然として廊下前に立ち尽くした。
そこには見舞い客が数人、クワンガーを迎えていたのだ。数えればざっと5人くらいだろう。
「ちょっ……ちょっと! みなさんお揃いでどうしたっていうんです!? ホーネック副隊長、どうして貴方まで!?」
人数はいつの間にか増えていた。
第17精鋭部隊の面子に加えて、クワンガーが研修時代にお世話になった第0特殊部隊の隊員も来ている。
エクスプローズ・ホーネック。第0特殊部隊副隊長を務め、クワンガーの教官にもなった『影の飛忍』。
ホーネックの隣には、同じく忍び部隊隊員のマグネ・ヒャクレッガーもいた。クワンガーの暗殺術と瞬間移動術は、彼の能力から取り入れられている。
「久しぶりだな、クワンガー。第17でも元気でやっているか? ぶっ倒れたって聞いたんで、心配で見に来たんだぞ」
ホーネックは久しぶりに会えた教え子を見て、クワンガーの肩をぽんぽんと叩く。
クワンガーは上品に微笑んで、ホーネックに言い放った。
「異常ありませんでしたよ。ただのオーバーワークみたいですね」
ポーカーフェイスで嘘をつくクワンガー。
命があと半年――だなんて、言えるわけがない。
幸か不幸か、クワンガーの嘘を見抜ける者はここにはいなかった。
ホーネックはすっかり、クワンガーの無事を信じ込んでいる。
「そうか、それならよかった。でも、あんまり働きすぎるなよ」
「大丈夫ですよ。私はそれほど努力家でもありませんから」
クワンガーとホーネックとの対話は弾む。
その光景を不思議そうに眺めていた精鋭部隊のマンドリラー、スタッガー、エックスの3人は、お互いに顔を見合わせた。
「噂に聞いていたけど、クワンガーって元忍び部隊?」
「オカシイと思ったぜ。アイツほどの機動力の持ち主が、どうしてここにいるのかってな」
「へぇー、アレが忍び部隊副隊長さんか。弱、弱、弱、弱、弱そうだぜぇ!」
「スタッガー! しっ! 聞こえるよっ!」
エックスがスタッガーの言葉を遮ろうとしたが、もう既に遅かった。
スタッガーの首筋には、大きな刺が突きつけられていた。間違って数ミリ動けば、刺の餌食になるだろう。
スタッガーの額からひやりと水滴が落ちる。
ホーネックの部下――ヒャクレッガーが、スタッガーの背後で囁いた。
「口は災いの元――。我ら忍び部隊を侮って、命を落とした者は少なくない」
ヒャクレッガーの尻尾の刺が、ギラリと光る。
ウィルス入りの尻尾の刺。一刺しすれば毒が回り、レプリロイドの制御機構を麻痺させることができるという。
暗殺者は恐い。
ホーネックはヒャクレッガーの行動に気づき、叱咤する。
「やめろ、ヒャクレッガー! ここで戦っても無益なものになるだけだ!」
「分かってますよ、副隊長。無粋な第17のヤツらに私が少々、一泡吹かせてみただけです」
ヒャクレッガーは突きつけていた尻尾を、スタッガーの首から離す。
ケンカの現場を傍観していたクワンガーは、笑いを漏らしながらヒャクレッガーに近づいてきた。
「あはは、さっそくいいものを見せてもらったよ。キミは相変わらずのようですね、ヒャクレッガーくん」
「………。クワンガー、どうして第17に移った? やはり弟か?」
「ビートブード……それもありますね」
クワンガーはにっこりと微笑む。
ヒャクレッガーには、クワンガーの笑みが何を示しているのか読み取ることができなかった。
こいつの性格には掴み所がない―――。
「……他に何かあるのか?」
ヒャクレッガーは神妙に問う。
すると返事は予期もしない形で返ってきた。
「ははっ! キミには分からないでしょうねぇ、私の考えが! データに呪われたキミの心では、私の自由な思想を覆すことはできない!」
半ば狂信者のようにクワンガーは語る。
その理由は至極単純で感情的なものだった。
「こっちの方が面白そうだと思ったからですよ」
結局その後、クワンガーは誰にも秘密を喋らずに別れていった。
ハンターベースの屋上で、夜の風に身を晒す。
空気はとても冷たかった。
パーツの温度が冷却されていく。氷に触れるような金属の冷たさに。
「………」
クワンガーは自分の両腕で自分自身の身を抱く。
自分の生を確かめるように。
自分の存在を確かめるように。
(半年の命……)
自分の意識を脅かす電子頭脳の障害。一体、どういう症状なのだろうか。
クワンガーの頭の中で、一つの言葉が思い浮かぶ。
脳死。
「……な、る、ほど……ね……。…俺、の、脳が……死、ぬ、のか……」
恐怖で言葉が痞えてくる。
死ぬことへの恐怖――それよりも、自分が自分でなくなることへの恐怖――。
(俺は俺のままでいたい――! もっと人生楽しいはずだろう!? こんなことで――こんなことくらいで――っ!!)
「あっ、兄貴!」
夜の屋上で蹲っているクワンガーに誰かの声がかけられる。
(……?!)
あの感覚が再三クワンガーを襲う。
知っているのに分からない。闇に閉じ込められた中、必死に差し伸べられた手を探す。
誰だ? キミは誰だ――?
「兄貴! しっかりしろ、兄貴ぃ!!」
見つけた――!
クワンガーは近づいてきたビートブ−ドの手を掴む。しっかりと、決して離さないように。
「ただいま。ビートブード」
一瞬強ばって見えたクワンガーの表情は急に和らいだ。
いつものように微笑して、ビートブードを見つめる。
「どうしたんです? ビートブード。またそんな泣きそうな顔をして……」
「兄貴ぃぃーーーーー!!!!!!!」
ビートブードは自分の愛しい兄を腕の中に抱き寄せた。優秀で儚げでたった一人の自慢の兄を。
「なっ、何をするのです? ビートブード!? 恥ずかしいじゃないですか!」
「兄貴……辛い顔してる。オレの前なら、強がることなんてないんだよ」
「……?!」
ビートブードの腕の中で、クワンガーは硬直する。
彼にだけは知られたくない。自分がもうすぐ消えることを――。
だが、ビートブードには全てが見透かされているようだった。
「兄貴……。辛いことがあったら、泣いたっていいんだよ。兄貴の悲しみは、オレが全部受け取ってあげるからさ。1人で悩みを抱え込むより、2人で半分コした方が楽だろ? オレたち『兄弟』なんだから」
静かに語りかけるビートブード。
夜なのに空はとても明るかった。月明かりの満月が2人の兄弟を温かく見守っている。
「ビートブード……、俺の言葉を聞いてくれるか?」
「うん……」
クワンガーは弟に自分の『秘密』を明かした。
あと半年の命だということを――。
恐怖だけを取り残して、全て感覚は色褪せていく。
このままでは自滅だ。
刺激を――楽しさを手に入れるための刺激が欲しい。
そのためなら、どんな手段も選ばない。
生きる幸福をこの手に―――!
廃人と化していくクワンガーの目の前に、その男は降臨した。
神か悪魔か。
男は静かに語りかけた。
「ブーメル・クワンガー、キミの余命も残り少ないそうだな」
マントを翻して現れたその男は、第17精鋭部隊隊長――すなわち、クワンガーの直属の上司――シグマだった。
シグマはクワンガーに手を差し伸べる。
「私ならキミの願いを叶えることもできる。その代わり、私に協力して欲しい」
迷いはなかった。
楽しく生きられるのならば、世の中どうなったっていい。
クワンガーの精神は、そこまで朽ち果てていた。
命が欲しい。心が欲しい。
「……シグマ…様……。どうか私を……この私を……お救いください……。そのためならば………」
クワンガーはシグマの前に跪き、その手を取った。
翌日、シグマは人間に対して宣戦布告をし、世界中を大混乱に招いた。
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